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2007年3月26日 (月)

物理的時間と歴史のifについて

SF的歴史考察
 ”シュレディンガーの猫”物理学上で、現在は非決定論の考慮すべき課題となって久しいタイムパラドックスの実験である。
 まぁ、実験といっても、実際に猫を使って実験をするわけではなく、思考実験としての実験なので、動物虐待とかするわけではない。便宜上の定義である。
 この思考実験で確認されることは、任意の時間で発生する事象が確率的に存在した場合は、物理的に事象が存在する可能性がある。このことから、現時点で存在する事実に基づいた歴史ではなく、ある時点で発生しうる事象について考察する歴史モデルの構築が流行するという状況が生じている。
 有名なところでは、織田信長が本能寺で死ななかったらとか、武田信玄が後5年生きていたらとか、徳川家康が関が原で死んでたらとか、まぁ色々と確率的に起こり得る事象は多く、if歴史の小説が仮想歴史物語として多く発売されていることもある。物理的に並行世界上では発生しうる現象であり、時空間航行が技術的に可能になれば、そういった世界との交流もありえることとなる。
 今の物理学上から発生する問題として、空想科学小説という分野が非常に困難になり、SF小説などと称する方も少なくなり、現実としては古き良き時代の古典小説の分野となりつつあると考えた方が良い。古典小説を今書いていけないわけではないが、書いた結果による反発に対して、正面きって闘うことができる小説家はほとんどいないのではないかな?
 歴史のifについても同様である。どんなifであろうが、確率上存在可能な歴史のifは存在しうることとなる。しかしながら、存在可能だからといって納得できるかどうかには極めて問題があり、仮想小説の大半は”あまりにも無理っぽくねぇ?”という状況がある。ここらへんは、歴史考証における課題であり、武将の評価基準が過大だったり、過小だったりすることを含め、評価指標の難しさが、そのまま小説の評価になりやすい。
 歴史上の事象が厄介なことは、科学的に追試が可能ではないので、推測や主観が要素として大きく取り込まれてしまい、批判する意味もなくなってしまうことにある。結果として、条件的には何を書いても許されるという状況が発生する。
 私的には、どんなに確率的に低い事象を扱ったとしても、いいんじゃねぇという感じはしている。(なんだかんだいっても、小説である以上は小説の出来が一番の問題だろう)

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