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2007年6月24日 (日)

極厳なる道

 子供の頃、鶴田浩二さんとか梓みちよさんという歌手が好きだった。「傷だらけの人生」を左耳に手を添えて謳ったり、床に座って「二人でお酒を」謳っていたのを覚えている。まぁ、変わった小学生だったのだと思う。
 ワーグナーの考え方が結構好きだったこともあって、歌を単品で扱うのではなく、情景や雰囲気といった総合的な意匠デザインとして作品化することが気にいっている。一曲という限られた時間で表現される意匠全体を評価し、その評価が高い作品が好きなのだと思う。
 そんな情景を描ける作品が好き。
 作品を一点で評価できるかどうかいえば、寺嶌葵の歌は非常に気にいっている。作品としての評価はともかく、彼女の歌が流れる「ゲド戦記」の予告編CMは非常に好きである。それだけでアルバムを買っちゃったのである。
 作品のすべてを、評価できるという作品はかなり少ない。映画「Sound of Music」とか「Blues Brothers」とかは、作品そのものが持つ雰囲気が一番気に入っている。一般には、知られていない作品で、日本ではDVDになっていないが、テリー・ギリアム監督作品のJabberwockyも気に入っている。クリエータになろうとする方は、これらの作品を10回くらい、観て欲しい作品である。(多分、一回で理解できることは無い)これらの作品を観て、自分の才能を実感できれば、売れないかもしれないけれど、本職のクリエータにとってのクリエータになれるかも知れない。
 売れることと、売れる作品を創る事は違うし、売るための作品の創り方と、自分が創りたい作品は違う。

2007年6月18日 (月)

三代目”紫苑” 02

 老いと病を抱える前を、娘は知らない。初代”紫苑”が極めた、剣を継いだことで、母の人生はただ人とは異なるものとなった。人の口に上る、剣聖と呼ばれる者ですら、”紫苑”には勝てなかったという。そのために”紫苑”の里は襲われた、勝てない恨みは、闇を放ち、里を焼き娘であった母は奪われた。その場におらず、生き残った紫苑が、凄絶な死闘の末、母を取り返した。されど、死闘の中で負った傷が、祖母の命を奪い去っていた。
 ようようにして囚われの身から、平穏な時を迎えたものの、紫苑の極めた技のただ独りの継承者であった。都会にいて剣に追われた母は、結局は逃げるように人のいなくなった里に還った。その時に、身ごもっていたのが娘である。母と同じ”紫苑”の名を抱いた。

2007年6月16日 (土)

三代目”紫苑” 01

ぱちぱちぱち、炎の穂がはぜる
ぱちぱちぱち、炎の穂がはぜる
 燃える炎の穂が、暗闇を映す。どれほど時が経ったのだろう。ススキの穂が一面に白く揺れ、ちらちらと雪の舞い散るように舞い散っていく。森の木々は、赤々と燃えるような鮮やかな色彩を放って闇に浮かぶ。紫苑は、ススキが嫌いだ。かつて、病に倒れた母を、自分自身の手で切り裂いた時も、ススキが白く揺れていた。
ひっそりと隠れるように住んでいる母娘以外に、人影が無くなって、既に10年以上になる山里。硬く敷き詰めた石畳も、草の芽吹きに砕かれて野に帰していく。陽光が、緋のように燃える木々を映し、白く揺れるススキの草原に風が流れていく。
 光も風も旅人なれば、時を止めることなく遷り往く。
 よわい四十を越えようとする母が、ススキの原に立っていた。緋に燃える鮮やかな木々を背に
十数歳の娘が、ススキの原を前にしていた。共に剣を腰に差す者であった。
「参ります」
「おぅ」
 娘が、しなやかに駆け出していく、受ける母は、痩せていた。柄を握る手の甲には、静脈が浮き出て、病んだ肌は恐ろしいまでに青白く、されど異様なまでに張り詰めていた。娘は、流れるように風に揺れるススキを乱さず駆け抜ける。
 母は、一瞬の流れを見切ったように、痩身の鬼が駆ける姿を放つようにススキの原を駆け抜ける。こちらも風に揺れるススキを乱すことは無い。母の剣刃が陽に映った時には、ススキの穂影に娘の体が消える。刃の放った力は、ススキに空隙を穿つ。娘の姿は、空隙を抜けて、大地を蹴り、天に舞う。剣刃が奔り、痩身の鬼を裂く。痩身の鬼は、一瞬に飛び退く。
 されど、痩身の鬼の左肩から、血飛沫が舞う・・・痩身の鬼は崩れ、母となった。嫌も応も無く、ただ病に倒れて尚、剣を握る手を休めず、オノレの病を切り伏せるかのように、子供のように仕合を求める鬼を止めることはできなかった。痩身の鬼は、強くしなやかに動く。手加減などすれば、死するは自分。死にたくはなく、母の求めるままに剣を奮い、そして一瞬の時が生死を分かつ。ススキの穂が血に染まるのが、今も剣を握る自分を斬り続ける。剣を握るとは、どういうことなのかと、剣を握り闘う自分に問い続ける・・・そして自分は”紫苑”となった。

2007年6月14日 (木)

私的な好み

 映画や演劇というのは、私的な好みがあるものがある。
 いままでで最高の映画は、ブルース・ブラザース。ま、私的な好みである。でも、この映画を歴代ベスト10位以内にあげる人は、結構おおかったりすると思うけど違うかなぁ・・・
 ストーリー的には、育ててもらった孤児院の税金5000ドルを払うため、かつてサタデーナイトライブに登場したバンド”ブルース・ブラザース”を再結成し、ライブでお金を集めて支払うことを目指す。その過程で、いろんなイベントが発生していくコメディ調に描かれている。
 サタデーナイトライブの時代を築いたバンドのひとつである、”ブルース・ブラザース”が好きなこともありますが、キャブ・キャロウェイやレイ・チャールズをはじめ、アレサ・フランクリンにジェームズ・ブラウンといった素晴らしいキャラクターが映画に歌を飾るミュージカル映画となっている。アクション・コメディ・ミュージカルという新しいジャンルではないかな(笑)
 また、映画監督のジョン・ランディスのテンポの良さとか、ちょい役で出てくるスティーブン・スピルバーグやキャリー・フィッシャーとかが、楽しい技を魅せてくれる、何度見ても楽しめる作品です。
 作品の収益とかは、低くもなく高くも無かったと思われるが、直接や間接的に映像や音楽Creatorに与えた影響は計り知れないものがあると思う。これは、ジョン・ベルーシが亡くなった後、追悼を兼ねた作品「ブルース・ブラザース2000」にB.B.キングやエリック・クラプトンを初めとした、多くのミュージシャンが参加したことからも伺えるのではないでしょうか。また、”ブルース・ブラザース”に関わるシーンを描いた漫画や映画は、色々なところにでてくるので、今の若い人が観ても、どっかで観た様な既視感を得る人は多いのではないかな?

2007年6月11日 (月)

対決!もの・・・ワンピース

 対決!ものというのは、ジ○ンプの伝統的手法である。久しぶりにワンピースの「デッドエンドの冒険」を見て楽しかったのである。対決ものとしては、ルフィーの相手だけであったが、映画という時間的制約を考えれば仕方ないことだったと思う。ただし、シナリオが非常に良かったと思うのは、ルフィー用敵キャラを配置しつつ、他のキャラについて見せ場を自然に造って魅せれていたと思う。
 この前の「アラバスタ編」は、映画という時間的な制約を考えて、ルフィーVSクロコダイルだけに絞っていただけれると良かったと思う。ちょっと「デビルマン」の映画版みたいな感じがしました。(まぁ、「デビルマン」よりは良い出来なんだけどね)
 ということで、新作を見た結果、昔のを見直しちゃいました。こっちの方が面白いっす。ちょっと古いけど・・・

2007年6月 8日 (金)

殺し屋稼業

 最近は、必殺仕事人がパチンコになる時代らしい・・・
 私的には、簪の秀が簪を取り出すシーンの効果音が好きです。効果音だけで受けが取れるのも、このシリーズの特徴かもしれませんね。音響さんが、苦労されて、報われた作品のひとつだと思います。

 仕事人のお話は、TRPGのシナリオになるかである。
 TRPGでマスターをしている時なんかでは、シナリオにつまると仕事人のシナリオを作ったこともある。これが、結構大変だったりするのだ。何が面倒かというと、プレイヤの人数分悪人がいないといけない。また、それプレイヤが、ある程度、仕事人シナリオという認識がないと難しいのだ。なぜなら、仕事人というのは、暗殺が本業なので、正面きって闘える能力の無いキャラだったりするのだ。(基本は騙まし討ちなんだよね)
 西洋ファンタジーのTRPGシナリオには、仕事人シナリオを組み込むのは、かなり準備が必要だったりするので、いきなりエイヤーではじめるのはかなり難しいものである。これを実行するには、プレイヤ側の強力が不可欠! 

2007年6月 7日 (木)

サイコロ その4

 将棋がインドで始まった時には、サイコロが使われていたが、時が流れチェスや日本の将棋になったサイコロが消えたのは、サイコロの確率性に対する不信感とイカサマに対する不安感からだったのではないかと考えます。(本当かどうかはわかりませんが、時代が進むにつれて、将棋にダイスを使わなくなったことを考えると、事実なのではないでしょうか)
 ランダムな確率変動は、再現性が無いというのが理想なので、出た目の記録自体にはそれほど大きな意味は無いというか、無いようにゲームを構成していく必要があります。状況によって、どんな出目が欲しいかということと、出目がなんであったかは明確に切り離して考える必要があります。
 囲碁、将棋といった確率変動性が無くなった盤上遊戯では、記録が非常に意味を持ちます。棋譜が、価値を持つことになるのも、棋譜によって勝負を再現することが可能だからです。こういった勝負事の場合は、判断力や記憶力、システムの把握力といった個人の能力そのものが、勝敗に直接的に繋がります。
 サイコロを使用するゲームが好きな人と、サイコロを使わないゲームが好きな人は、勝負に対する言い訳をする時に、どの程度サイコロに責任を負わせたいかによって変わっていくと考えます。真の賢者は、サイコロを使った勝負であっても、サイコロに責任を負わせず、自らの力で勝つことで、自分自身が真の賢者であることを示すのですが、なかなかにそう考えてくれる方は少ないようです。運が良かったからは、単なる言い訳であり、運が悪かったからも言い訳に過ぎません。
 サイコロを使ったゲームであっても真の勝利者になることを目指すことが、真の賢者への道と考えるのですが、そう考える方は少ないのが現状です。

2007年6月 6日 (水)

サイコロ その3

 賭博にサイコロが使われる以上、イカサマという誤魔化しは非常に厄介な問題であると言える。このイカサマの話は、古代インドの時代から続く、連綿とした歴史の流れにある問題でもありますので、人類が勝負事を続ける限り終わることの無い戦いなのかも知れません。
 サイコロをゲームで使う大会で、一番知られているバックギャモンの公式大会で使用される、プレシジョンダイスは、正六面体の形状の半透明な樹脂材に1~6までの数穴をあけ、穴を色が違うだけの樹脂材で埋めて研磨する。おもちゃのちゃちゃちゃ<参照>
 プレシジョンダイスの構造としては、これだけではありません。樹脂材そのものが半透明であること、製造された正六面体を、中心から辺までの距離を半径とした球状に削り出すという構造になっています。現在のプレシジョンダイスそのものが、削りだされているかどうかは解りませんが、造り方としては最後の球状に削りだすところまでが、プレシジョンダイスの構造と考えられます。また、バックギャモンの大会では、ダイスを手で持って振ることは認められていません。ダイスカップで振ることになっています。こういったサイコロの確率を、1/6に向かっていく
 サイコロを使う遊戯でも、チンチロリンなんかの場合、使用する器はチョコに近い形状なので、そんなに大きな器を使用しません。小さい器を使って、外に飛び出さないようにサイコロを振らなければならないとか、人間の手で振とか、さらには前に出た目を持ち上げてその目を基準に振るということ、といったことを考えると、確率に公正性を求めることがゲームの目的ではなく、相手との読み合うことや出目の流れがそのまま遊戯性に含まれていたものと考えられます。
 こういった違いは、イカサマに対する考え方の違いにもよります。イカサマを阻止するために最大限の努力を物理的におこなっていく方向で考えるのか、確率を公正性で捉えるのではなく、確率そのものの偏りすらも遊戯に取り込んでしまうという考え方の違いと思われます。また、イカサマを阻止することが困難であるという前提のもとで、平っこ勝負に持ち込む力(イカサマすらも見切る力)が必要であるというのも、考え方の違いとなっているかと思います。

2007年6月 5日 (火)

サイコロ その2

 ”サイコロ”が、一般には正六面体であることが知られているが、古代のサイコロはかなり異なる形状のものだった。例えば、紀元前3000年頃に遊ばれていた古代エジプトの盤上遊戯セネトの場合、使われていたサイコロは表と裏がある棒状のサイコロが使われていました。今で言えば、コイントスがサイコロになっていたと考えていただければ良いと思われます。
 正六面体を造ることよりも、六角柱を作るほうが楽だし、六角柱より四角柱が楽だし、四角柱よりは表と裏だけの方が楽であるのは事実です。
 コイントスによる表裏の判定は、サイコロ以上に、1/2の確率に近似できることが知られています。方法についても厳密に設定されていて、ジャッジが腕を伸ばし、親指の上にコインを載せて、1フィート以上上に飛ばして、地面に落下して誰にも触れることなくコインが落ちた場合の表裏の判定が、もっとも確率1/2に近似できるとされています。誰かが、途中で触れたり腕の上で判定したりというのは判定結果に偏りが生じるので、そういった場合は、再度コイントスを実施します。

 正六面体のサイコロとしては、バックギャモン協会さんで販売されている、プレシジョンダイスとかがありますが、日本の入曽精密さんで、チタン製の正六面体サイコロが製作販売されていました。ただし、入曽精密さんのサイコロは、正六面体の精度は非常に高いと考えられますが、正六面体から球体を切り出した形状ではないので、バックギャモンの公式大会では認められないのではないかと思います。
 プレシジョンダイスは2個2000円http://www.backgammon.gr.jp/
 入曽精密さんのチタンダイスは、2個15750円なのですが、生産は終了しているとのことです。残念!http://www.tanomi.com/limited/html/00010.html

2007年6月 1日 (金)

サイコロ その1

 ”サイコロ”の呼び方自体はダイス、ちょぼ、賽子に骰子とか色々呼ばれている、非常に長い歴史を持つ遊戯用具です。増川宏一さんの著書「さいころ」(法政大学出版局)によれば、世界で最も長い叙事詩「マハーバーラタ」にサイコロについて記述されているというお話が掲載されているので、紀元前5世紀頃には、すでにサイコロがあったということが言えると思われる。
 サイコロ賭博が、公序良俗に反することが多かったため、どうも学術的な対象になることが少なかったと思われる。しかしながら、賭博が古代インドでは教養科目であったことは、あまり知られていない。「マハーバーラタ」では、知性の高い人が、賭博に勝利することができるとされている。また、イカサマはいかなる悪よりも悪であるとされている。
 しかしながら、今の日本における教育では、サイコロの学問的な象徴である確率のお話は、あまり数学の中では話をされることが少ない。本来、経済や社会の予測や状況分析を考える上で、サイコロのお話は非常に重要であるにも関わらず、あまりそういった事柄を学術的に語られる方は少ない。いないわけではないし、最近は、金融工学の進展もあって、かなりそういった事象についての研究も進んでいるといえる。

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