« 今は昔になりにけりなのだろうか? | トップページ | 風来坊「胡蝶譚」 その2 »

2013年9月17日 (火)

風来坊「胡蝶譚」 その1

「胡蝶の夢」は、とってもファンタジーな詩である。Wikiペディアから参照
昔者荘周夢為胡蝶。栩栩然胡蝶也。
自喩適志与。不知周也。俄然覚、則??然周也。
不知、周之夢為胡蝶与、胡蝶之夢為周与。
周与胡蝶、則必有分矣。此之謂物化。

昔者荘周夢に胡蝶と為る。栩栩然として胡蝶なり。
自ら喩しみて志に適えるかな。周たるを知らざるなり。
俄然として覚むれば、則ち?々然として周なり。
知らず、周の夢に胡蝶と為れるか、胡蝶の夢に周と為れるかを。
周と胡蝶とは、則ち必ず分有らん。此を之れ物化と謂う。
 これは、形而上と形而下に分けて、形而上が同じ意識を持ちながら、形而下の体が人と蝶に分かれている。自分は、蝶であり人である。現実が、蝶であるか人であるかを区別することはできない。
 ここらへんは、観察者の主観としても正しい。オペレーションを実行する側とされる側が同じ意識を持つモノであれば、両者を明確に区別することはできない。もし、自分の主体となる意識が、蝶に捉われてしまえば、蝶であるし、人に戻れないということにもなる。
 ここらへんの感覚も異世界モノの考え方なのだろうと思う。自分が存在する世界と、もうひとつの世界が、なんらかの接点を持ってしまった場合、世界そのものの認識が、変革するのではないだろうか。どちらの世界が、現実で、どちらの世界が夢となるか。ひとつになるのならば、どちらがどのように融合するかもまた、世界の有り様を変えてしまうのだろう。

« 今は昔になりにけりなのだろうか? | トップページ | 風来坊「胡蝶譚」 その2 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/12711/58212977

この記事へのトラックバック一覧です: 風来坊「胡蝶譚」 その1:

« 今は昔になりにけりなのだろうか? | トップページ | 風来坊「胡蝶譚」 その2 »

フォト

ココログペット

  • ちょっといれてみました
2017年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    

最近のトラックバック

Ogamiのココログリスト

無料ブログはココログ