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2014年11月30日 (日)

Webラノベの読者

 芥川龍之介によれば、小説の読者というものは、小説の筋を読んでいるらしい。
 Webラノベの読者であれば、筋を想定していることを(テンプレ)とか読んでいることになるのだろうか?テンプレが、気に入るかどうかは、それぞれの読者によって変わるところなのだろうが、筋がテンプレ過ぎても、テンプレから外れても今一つなのかもしれない。
 転異チートものの場合は、転移した異世界の在り様に共感できるかどうかとか、チートに自分自身では有り得ない憧憬を、なぜか異世界なら有りにできるようなところが、良いのかもしれない。
 苦しい生活しながら、異世界では金持ちな生活をするとか、いじめっ子が異世界無双してたりとかは、現実世界との乖離が、魅力といったところになるのだろうか。似たような世界で、似たような境遇というのは、微妙な感じもするので、何かが欲しいと求める想いが、小説に求められているのだろう。
 なんだかんだ、個人的に気に入っているのは、テンプレだし、あんまし外れるのもなんだかなぁという感じがする。つまりは、悪いものではないということになる。歴史転生あたりは、有名人については一般歴史if系で量産されているから、Webラノベは、ちょっと変わった異世界モノとなっている。雨月物語の岡佐内と子孫による異世界チートとか、豊臣秀次の知識チートなんかは、Webラノベとかでないと、描けない感じの作品だろうねぇ。

 Ittoh流読書綺談「小説の読者」芥川龍之介

2014年11月27日 (木)

平和であることと戦争

 現在および近未来における戦争の発生は、政治経済の後ろ向きな状況で発生する戦争だと言える。戦争は、経済的に儲けにはならず、損失にしかならない。このことは、おそらくはすべての国で認識されているだろうとは思う。
 平和であることは、戦争が無いということであるが、争いが無いという事では無い。安全が保障されて始めて、政治経済の発展が望めるものなのである。働く人にとっても同じである。平和であって始めて、安心して働けるのであって、実弾が飛び交ったり、爆弾が投げ込まれるような世界で安心して働けるという事ではない。
 なかなかに難しいのは、平和の実現方法である。周囲が平和である方が、経済的に活性化するというのが昨今の世界情勢のハズであるが、自国より他国が儲かることを、許容できる国というのは少ないものである。
 自分が儲かっていないから、自国民が他国の国境を侵犯しても、何故見て見ぬふりをしないのかというような話まで出てしまう。これが、国が持つ欲望というものである。こういった欲望は、時に暴発することがある。このために、国として戦いの意志が無くても、戦争が起きることがある。これは、事実である。
 結果として、いかなる国であろうと、戦争に対応した準備をせざるを得ないものである。
 話し合いで解決できるというのは、あくまでも理想でしかない。国益が関わることで、話し合いで解決できるのは、あくまでもお互いの国益を尊重しても儲かるという状況でのみ可能なのである。
 戦争は、関係各国にとって損しか生じない経済活動となる。しかしながら、相手が自国より損をするという目的や宗教上の理由だと、戦争を始める理由が生まれてしまう。ここらへんが、現代における戦争が持つやるせなさと言うか、納得がいかない理由となる。
 現在および近未来の戦争は、後ろ向きな状況で発生する戦争だと言える。政治経済が後ろ向きにならなければ、戦争の生じる可能性は減じる。はてさて、日本と言う国はどうかな?

2014年11月24日 (月)

お久しぶりです。創造することって難しい?

概念把握が難しいようである

 最近の状況として、πが何かわからないという状況があるようだ。数学の試験結果からそのようなお話を聞いた。π=3.14とか書けるけど、円周の長さも面積も答えられない学生が山のように居ると・・・
 これは、π=3.1415・・・を知らないとか、円周の長さは、2×π×半径とかを知らないということではない。個々には、知っているのである。円周率というのがπという文字で表わされていて、π=3.1415なんたら~というのは知っているのだが、それが何であるのかという理解が低いのである。円の長さだろうが、面積だろうが、公式を知っていれば計算できる。だけど、知らなければ計算できない。これは、π≒3.14を知っていることと円の面積を知っていることに関係性が極めて低いということを示している。
Zu_pi01
 π≒3とした場合、2×π×半径の結果は、円に内接する六角形の周囲の長さとなる。円の長さは、内接する六角形よりも長いから、π>3ということになるのだが、そういう風に考えることは難しいようである。
 個人的には、この概念把握をスキルとして修得させることが難しい。概念の把握は、非常に広い範囲に及ぶもので、1を聞いて10を知るといった事は、概念把握力の深さに依存していると判断している。

 発想することそのものから見ると、子供が、非常に老成してしまっているように見える。まるで、自分で自分の限界を決めて、それ以上はできないとしているように、答えの無いことは、答えが無いままでよく、答えを考える必要が無い。その結果として、自分が置かれる立場に不満があっても、それをどうにかしたいとは思っていても、どうにかできるとか、どうにかするために何かの努力をするということについては、とてつもなく難しく高い壁があるように感じているようだ。
 回り道ができない。何故、自分の前に道が無いのか、駄々をこねても、自分の前に道はできない。チートな能力があっても同じである。
 苦しみの先には、苦しみと楽しみがあるとする。だけど、苦しみの先に、苦しみがあるのなら、何も苦しまなくても良い、だけど楽しみたい。そのな我儘な時代なのである。だからといって、現実は、結果的に目の前に訪れる。そして、目の前の現実を背け、自分の都合の良い世界へと引き籠る。別にこれは、部屋に引き籠るとかではない、真っ当に社会の中で生活しながらでも、人は引き籠ることができるものだ。

 おそらくは、このページを見るような方は、そんなバカなと言われるかも知れない。しかしながら、ただ知識を記憶しただけでは、何一つ解決できることは無い。はてさて、どうしたら、苦しんだ先を目指して貰えるのだろう?
 何か無いかと、探し続けている、今日この頃である。

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