芸術の最高形式は、FARCEであるか?
これは、坂口安吾さんの作品、「風博士」や「FARCEに就て」のIttoh流読書綺談である。
彼自身は、「風博士」などの作品で、世に出た方である。富田輪生さんや意志を継がれた方々に敬意を表し、”青空文庫”の作品で読んでみた。坂口安吾さんの作品は、ほかの方々と似たようであるが、「信長」や「堕落論」から読み始めた者である。
個人的な意見としては、ワーグナーの描こうとした「総合芸術」の方が好きである。
だからといって、FARCEの重要性を低く見ることではない。FARCEは、笑劇という呼び方をするとWikiには描かれていた。日本人の感覚からすれば、「能」に対する「狂言」のような感覚であろうか。今の日本人だと、シリアスに対するコメディという対比になるのだろうか。
FARCEは、道化が重要な要素としてとらえられている。これは、過去にせよ、未来にせよ、たとえ異世界であっても、その世界に従属するかしないかという対比だと判断している。おそらくは、世界の在り様に従う側の人間と、従わない側の人間という対比が、様々な話の展開を創りあげていくからと判断している。
最近の"異世界モノ"は、存在そのものが異質な主人公を、異世界という世界への対比としておくことで、ストーリーを創り上げているようだ。そういった意味では、"異世界モノ"という作品群は、今の時代で描かれるFARCEということになる。
« 堕ちて行くというイメージ | トップページ | コンテンツの在り様 »
コメント