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2014年12月 6日 (土)

コンテンツの在り様

 これは、ワーグナーの言うところの「総合芸術」に対する、個人的な判断基準である。
 書くとするところを、描くと記すようになって何年になるかわからない。
 最初に感じたのは、俵万智さんの「サラダ記念日」のレイアウトであったように思う。内容ではなく、レイアウトに驚いたのだ。詩というコンテンツをこうも見事に描いたというのが面白かったのである。
 書くというのは、"言葉"や"文章"に対するもので、その本質を捉えた「コンテンツ」に対するものではない。これが、コンテンツを文章として描くと表現することに繋がった。「描くこと」というのは、絵画のようにコンテンツを文章を使って描くことでもあり、そこに数式や計算があれば、式が、その情景が絵であれば絵を、動画であれば動画を実装することで、全体として「コンテンツ」を完成させる。
 一人の人間ではなく、複数の人間や複数のメディアに展開されるのも、「コンテンツ」のこれからの在り様を示していると判断している。

芸術の最高形式は、FARCEであるか?

 これは、坂口安吾さんの作品、「風博士」や「FARCEに就て」のIttoh流読書綺談である。
 彼自身は、「風博士」などの作品で、世に出た方である。富田輪生さんや意志を継がれた方々に敬意を表し、”青空文庫”の作品で読んでみた。坂口安吾さんの作品は、ほかの方々と似たようであるが、「信長」や「堕落論」から読み始めた者である。
 個人的な意見としては、ワーグナーの描こうとした「総合芸術」の方が好きである。
 だからといって、FARCEの重要性を低く見ることではない。FARCEは、笑劇という呼び方をするとWikiには描かれていた。日本人の感覚からすれば、「能」に対する「狂言」のような感覚であろうか。今の日本人だと、シリアスに対するコメディという対比になるのだろうか。
 FARCEは、道化が重要な要素としてとらえられている。これは、過去にせよ、未来にせよ、たとえ異世界であっても、その世界に従属するかしないかという対比だと判断している。おそらくは、世界の在り様に従う側の人間と、従わない側の人間という対比が、様々な話の展開を創りあげていくからと判断している。
 最近の"異世界モノ"は、存在そのものが異質な主人公を、異世界という世界への対比としておくことで、ストーリーを創り上げているようだ。そういった意味では、"異世界モノ"という作品群は、今の時代で描かれるFARCEということになる。

2014年12月 2日 (火)

堕ちて行くというイメージ

 格闘技の修行で、崖を登っていくというイメージから、崖を転げ落ちていくというイメージに変わっているようだ。チートになって生き残るか、死ぬかという二択となるのが、こういった世界でのイメージのようである。つまりは、修行をするというのは、ポジティブではなくネガティブといったところなのだろうか。希望ではなく、絶望が修行を推進する力というのだろうか。
 自分は生き残るとか思っていると、たいていは死んでしまうものだ。それに、チートな能力は、手に入れるまでが大変だけど、手に入れても結果的に恨みを買えば死んでしまう。人の殺し合いをしていく中で、生き残るということは、はてさて難しいものである。
 人を殺し合うような世界では、人を活かすことがいかに難しいかということになるし、人を活かせる世界では、無双なチートは活かせないとは思う。
 堕ちていく先で、チートを手入れてというのは、非常に面白く無い気がする。しかしながら、ポジティブに頑張っていくような雰囲気は少ないようにも思う。異世界チートを見ていると、異世界で活躍している姿そのものは、ポジティブでも背景にあるのは、絶望のように見えることが少し悲しい気がする。
 チートという絶望は、好みでは無い。
 "I am not good at Life"でない世界が、現実でも異世界でもあってこそだと思う。まぁ、そういう状況であれば、売れないかぁ・・・

2014年12月 1日 (月)

高倉健、菅原文太さんのご冥福をお祈りいたします

 非常に残念なことです。映画というメディアで、凄い方という俳優さんが相次いで亡くなられてしまいました。個人的には、小池朝雄さんや森繁久弥さんを含め、素晴らしい憧れが少しづつ消えていくような想い、残念な想いで一杯です。
 こんな大人になりたかった。という方が、今の子供達にも居るのでしょうか?
 年齢的には、長く現役で活躍された方々ですから、「ごゆっくりお休み下さい」と言うべきかも知れませんが、なんか本当に穴が空いてしまったような感じがします。昭和という時代が、本当に遠くなっていくようなそんな感じです。
 私自身、昭和生まれで、高度成長だの、オイルショックだの、バブルだのの中で、生きてきましたけど、同じ時代の先輩を感じられる方を失うと、あぁ、そろそろ俺の番かな?という想いに捉われるようになります。「俺は、戦える、行ける」と思う中の先に、「まだ戦える、まだ行ける」という“まだ”という言葉が付くようになってきたということもあります。
 人間人生五十年を迎える年の瀬です。「人間人生百五十年」と言い切れば、まだ1/3しか生きておらず、これからの時代にも働きかけていければなぁと感じています。

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