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2016年8月24日 (水)

宵闇堀川水運と宵闇斎宮院家

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 ファンタジーノベル大賞に、エントリーしました。

題名は、「あたしは、生きたい」
http://www.alphapolis.co.jp/content/cover/377071170/

 講釈師、見てきたように嘘を吐くであります。
 宵闇では、京洛における堀川水運をかなり拡張しております。
 堀川水運について、平安期に幾度かの水利事業によって拡張され、鴨川が増水した場合の逃げ道としても活用された、このため、北部取水口となる、上堀川町あたりから南へ下ったあたりや、紫明通の南側、堀川の南端となる十条通りから南側には、人工的な遊水区画が数多く設けられていた。特に十条より南側の遊水区画は、鴨川の氾濫と重なると、時には大規模な氾濫となって、周辺一帯が水没することもあった。
 このため、堀川の水利は、一定の水量を確保することができ、水運利便が図られていった。この水利管理は、賀茂斎院へ寄進され、斎院の管理となり、京橋から鴨川一帯の京洛東側一帯の町衆からの運上金によって運営されていた。遊水区画一帯では、葦を中心に菜種や椿などが生産され、葦簾や葦紙などが生産品として加工されていった。葦関連については、賀茂座と呼ばれる許可制となっていて、巨椋池や河内湖を含めた川筋での葦生産拠点についても、賀茂斎院への寄進の対象となっていた。賀茂斎院は、鴨川や堀川の水利事業を鴨川や堀川を利用する船からの運上金だけでなく、葦および葦加工品の売買で賄っていた。
 賀茂斎宮家は、伊勢斎宮と共に、皇室からの皇女を迎えて斎宮家を形成していたが、平安中期頃より、賀茂斎宮家と伊勢斎宮家の二家を独立し、女性が当主として立つ斎宮院家となった。斎宮院家では、斎宮が婚姻する時に、主上から皇女を斎宮に迎えて、自らは斎宮院家の御台様となって婿を迎え、娘は次の斎宮候補となり、息子は院司となって斎宮院家を支えたと言われます。

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