歴史の重み
丹波大江山を調べていて出てきたのは、但馬、丹後、丹波に跨る大丹波を勢力としていたというお話。従来、備前、備中、備後や、越前、越中、越後など前や後という名称がある国は、同一文化圏である、備の国、越の国といった国名があったのだろうという話は、聞いたことがあった。
丹波を調べていくうちに、青葉山や北方交易の舞鶴湊とかが浮かび上がってくる。
人が積み重ねた歴史の重みというのは、なかなかに難しいものである。小説として、歴史ifを描いているが、なかなかに描けば描くほどに、怖くなっていることが判る。様々に矛盾した歴史もあることもまた事実である。
人とは、同じものにあらず、時が変われば、変わるのもまた人なのである。
米国領沖縄生まれであるから、琉球郵便の単位がセントであったころを知っている。それすらも、思い出となった時代である。1$=360円が、1$=100円となれば、日本にとっての経済効果は、1/3となる。つまりは、昔はいるだけで、大金をおとす客だったが、最近はしみったれだ、いなくても良いじゃないか。
経済の流れが、与えた影響というのは、そんなものである。だからと言って、その流れの中でおきたことは、そう簡単に覆るようなものではない。
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