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2017年9月11日 (月)

「昭和16年夏の敗戦」Kindle版も発売されてました

 いつのまにやら、Kindle版も発売されていました。
猪瀬氏の「昭和16年夏の敗戦」
 なかなか読みごたえのある本です。資料としても、在りかと思います。

 戦前当時の日本が置かれた状況は、戦争をするか臥薪嘗胆に近い形での譲歩を図ることも選択肢にはあった。
 この選択肢を取れなかったのは、猪瀬氏は、官僚的な責任回避にあるとしているが、官僚が責任回避する理由して、決断に権限を持っていないことにあるように思います。決断は、他人であり、官僚には決断する権限はありません。国が作成する資料は、決断者に都合が良いことであって、作成者の意思ではなく作成されます。これは、今なお変わることのない、現実の国策が発生させる状況です。
 資料作成者は、官僚であれ学者等の知識人であれ、なにひとつ責任をとることはありません。ですが、作成した資料は、開戦の材料とされることとなります。

 後から、そんなつもりではなかったというのは、ダメダメなのですが、当時におかれたそれぞれの人の立場では、それ以外の答えを持つことは、極めて困難であったように思います。結果的には、小説やエッセイっぽい書き方としては失格な作品で、読む人にとっては、期待から外れることが多いような作品でもあります。
 作品としては、購入価値は、「とっても微妙です(笑)」(*゚▽゚)ノハハハ

 作品としてではなく、この作品から、今の日本が置かれている状況をどう改善するかとか、国の施策を予測するかとかを考える上での資料としては価値があると、お爺ぃは考えています。

 日本が、シミュレーション結果「敗戦」の中で、一縷の望みをつなぐ答えを探して、必死になって資料を集めて、開戦に踏み切るというのは、勝てる確率が高いから選択するのではなく、開戦以外の選択肢を取りたくないからという理由から、開戦を可能とする資料探しであったように思います。
 日本の官僚や学識経験者と呼ばれる方々と言うのは、戦前戦後も変わることなく、頭は良くキレる方々ですが、決断はしませんし、みんなで印鑑を押します。シビリアンコントロールは、武官に対する文官が上位に来るという発想ですが、官僚にとっては、自分の代わりに決断する人を利用して、自己責任の回避に努めます。
 日本の場合は、それが東條英機あったということになるのでしょう。
 つまりは、東條英機等をスケープゴートにして、責任回避を図ることが、シミュレーション参加者の行動にあったのだと思います。日本政府が探していたのは、開戦理由であり、こじつけであれ、開戦理由の書類を作成しそうな人達は、必死になって開戦に対する自己責任の回避に走ったことが、直接書かれてはいませんが、資料の作文をしていったように思います。

 小説や資料として失格なのは、あまりにも書いてあることが、現実に即しすぎていることにあります。虚構がほとんどないために、現実の政治におけるツマラナサが顕在化してしまっていることが、作品としての価値を下げているように思います。現実の政治は、ツマラナイですから。
Inose
 現実の政治は、面白くありません。何故なら、日本では、できる限り多くの人に利益を調整するために、すべての人に不満を残すことになる政治結果が基本となります。このような国の政治が、面白いハズは無く、ツマラナイ話にしかならないことを示します。
 日本の開戦理由も、できる限り損失(損切り)の決断をせずに済ませようとするあまりに、開戦への道を突き進んでいったのだというのが、お爺ぃが、この本に抱いた感想です。
 ただ、お爺ぃは、小説に政治が絡むと、どうも、この作者と同じような書き方をしてしまいます。現実の政治はツマラナイから、書かない方が良いのですが、内政関連チートは、どうしてもツマラナイことを現実化する方向で書いてしまいます。

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