一騎当千
一騎で千騎に当たれるところから生まれた言葉である。まぁ、三国志演義あたりだと、張翼徳が長坂の戦いで、万騎を相手に大喝して止めるとか、趙子竜が一騎駆けで子供抱えて万騎に挑むとか、講談上で言えば色々な一騎当千がある。
ただ、なかなかに一騎当千を本当の意味で示すことは難しい。なぜなら、一騎当千を示すための力を示せる相手がいなければならない。三国志の呂布やトロイのヘクトルは、強さを示すことによって、闘った相手の名が後世に残ることとなる。劉備、関羽、張飛にせよ、アキレスにせよ、相手が強ければ強いほど、自分の名を残せる相手となる。
曹操を見て許子将が、”治世の能吏、乱世の奸雄”と評したことは、時代に合うことで名を残せたものと、時代に合わざることで埋没した名前があることを示している。
平和の時が続くと、天下騒乱を望む声が増え、平穏無事の人生ではなく、戦い死する時を求める声は決して小さくは無くなる。しかしながら、同じ声が、天下大乱となれば、平穏無事の人生を求める。なかなかに人とは難しいものである。一時は民衆の英雄として歓呼で迎えても、翌日には逆賊として吊りあげるのも民衆である。
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