2009年11月 3日 (火)

ドットの美しさへ

 知り合いがクリスマスイルミネーションが描く文字が素晴らしかった。描いた方は、前に勤めていた学校の先生である。今年もクリスマスイルミネーションが実行されるかはわからないけれど、また美しい絵がみられることを期待していますね。東京都小平市で開催される冬の祭りである。今年も見に行く予定・・・今年もあるかなぁ・・・
Xmas2008_2
 ワープロと呼ばれ、ドットで文字が表示された時代、16×16で文字を表示することが重要であった。当時のワープロは、16×16から24×24、32×32と、徐々に高精細に描けるように発達していった。当時、家で使っていたワープロはシャープさんの書院である。ようやく電子機器で、日本語が使えるようになった頃でもあった。ファミコンがアルファベットとカタカナで上手くひらがなを表示することが難しかった時代でもあった。
 今も、表示する文字の美しさを表現することは、高精細になっても変わらない技術であろう。
<去年のクリスマスイルミネーション実行委員会のページ>http://nokaidai2008.hp.infoseek.co.jp/9_photograph-contest.html

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2009年8月30日 (日)

世界同時増札?

「ニホン。何をしてる?」
印刷機の前で、働いているニホンちゃんを見て、アーリアが声をかける
「お札を刷っているのよ。世界同時不況っというか、仮想経済が実態経済と乖離しすぎちゃっているからね。アーリアちゃんのとこでもやっているんでしょ」
「あぁ、ゲルマッハ兄さんが頑張っている・・・」
「どうしたの?」
「なぁ、ニホン」
「なぁに」
「この方法で、上手くいくのかな?」
「ダメなんじゃない」
「おい、ニホン!」
詰め寄るアーリアを抑えるニホン。
「おちついて、アーリアちゃん」
「これが、おちついて、いられるか!アメリーもエリザベスをも含めて世界中で、増札を始めているんだぞ」
「だって、アーリアちゃん。お札が増えるってことは、仮想経済に実態経済を近づけるってことでしょ」
「あぁ、それが今回の不況の原因だから」
「それって、仮想経済における価格が実態経済に近づくってことよね」
「それって・・・あッ。インフレが始まるってことか」
「そ。インフレ。だからといって、お札を刷るのをやめると、不況が止まらないのよねぇ・・・」
「どうするんだ、ニホン」
「そこなよねぇ。この方法だと、格差の拡大が止められないのよね・・・」
はてさて、明日はどっちだ?
 by @Ogami

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2009年8月 4日 (火)

夏が来ると思い出すシリーズ

 玉音放送が流れても帰れることのなかった南の島に、何度かの夏が過ぎた後、米軍の軍服を着けたリュウ爺は帰ってきた。幼い孫のリュウ坊を連れて
 よくわからないまでの弾に抉られた跡、ボロボロの門。旧琉球大学のあった近くで、呆然と車を降りたという。どこをどう動いたのか、カデナの飛行場から、良くわからないままに記憶のままに彷徨ったそうな。
 「ッ・・・」
 崩れるように。滂沱の流れが滝のように目から溢れ、何も見えんかったそうな。米軍の軍服を着けて、欧州の地で激戦に激戦を重ねて、数百人はいた仲間たちも、殆どは帰らぬひととなり、識別票すら回収できない仲間も多かったそうな。収容所のねぇねぇにも、おばぁにも言えることもなく、ただひたすら闘い続けた歳月がようように終わった・・・されど・・・闘いの傷跡は、消えることは無い。
 「お爺ぃ・・・」まだ幼いリュウ坊が心配そうにリュウ爺の肩に手を当てる。そんな夏のひと時があったこと・・・今は昔の物語・・・
<リュウ爺ぃの夏>http://sugc.cocolog-nifty.com/nari/2009/07/by-unknown_jnar.html
 私が人に話すとき、夏には、講談が合間に流れます。人の生と死を、未来につなげるために・・・個人的なデス・コミュニケーションの想いを伝えるお話です。フィクションと言えばフィクションですが、当時の状況は、それほどに苛烈であったこともまた事実です。
Ogami流、「戦後に生まれのデス・コミュニケーション ノベル」

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2008年4月 1日 (火)

昔々、モンティパイソンという連中がおったそうな

 聖杯を探して、冒険に冒険を重ねていると、スコットランドヤードに捕まってしもうたアーサー王もモンディパイソンだったそうな。なんかしらん、雰囲気が面白くて、良く見ておった。椰子の実を打ち鳴らしながら、馬に乗ったふりをして、旅を続けるアーサー王と愉快な円卓の騎士たち。


 ま、日本語の吹き替えが伝説となっていて、広川太一郎さん、青野武さん、納屋吾郎さんや、山田康雄さんといった方々が出演されておられます。前に、CD-ROM版で変なテトリスっぽいゲームがあって、強い印象があったりします。”気分はサイコー”、”わしゃ、まだ死んどらん”・・・
 どこに行ったかなぁ・・・




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2008年3月18日 (火)

平積みの本から・・・2

 山田真哉さんの著書「”食い逃げされてもバイトを雇うな”なんて大間違い」を買って読んでます。
 上巻のタイトル「食い逃げされてもバイトを雇うな」を下巻で否定する否定の仕方が非常に面白かったです。仕方については、上巻を読んで下巻を読んだ方がいいかと思いますので、ここで詳細には述べません。
 会計とは、ある時点における会社の経理状況を数値で表現したものです。経理状況を数値で表現したものは、正確であり科学でなければなりません。しかしながら、ビジネスは異なります。なぜなら、明日の状況は不明であり、現在の予測は外れる可能性が常にあります。
 こういった本とかも結構好きだったりします。サイドビジネスは昔々、若くて元気だった頃やってたけど、今は疲れているのでサイドビジネスで遊んでないです。どうも、ビジネスモデルとかつくるのが、好きだったりしますが、儲けることそのものには興味がないというか、楽しめないみたいです。


 別件ですが、ITバブルの頃に聞いた言葉で納得したこと、「ITで儲けようとするのは難しい、だけどITで儲けようとする人を相手に儲けることならできる」確かにこれはこれで正しい言葉ではあるけれど、儲けようとする人相手に、儲からないことを題材に儲けるほどの心の強さはありませんでした。

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2008年3月12日 (水)

平積みの本から・・・1

 家の床に平積みされている本があります。漫画とかが多かったりするのでそこらへんから徒然に書いてみます。ま、私の本を読むときの読み方は、非常にひとと違ってたりするので、ちょこっと変な書評となりますが、ご容赦いただけますように。m(__)m

荒川弘さんの「鋼の錬金術師」ガンガンコミック

 TVアニメにもなったので、知っている人も多いかと思います。アインシュタインがたてた理論式であるE=mc^2を等価交換という考え方において、理解・分解・再構築という論法から描かれている漫画である。錬金術そのものからすると、色々と言いたい事もあるかと思いますが、面白い雰囲気を持った漫画だと思います。
 理論的に可能だけど、技術的に極めて困難とされている、E=mc^2という等式なんですよね。等式である以上は、質量をエネルギーに変換することができるのと同じように、エネルギーを質量に変換することが可能のハズなんです。また、ホーキンス博士の証明によれば、質量がエネルギーに変換されたとしても情報が消滅しないということであれば、質量が持っていた情報を再構築できるのであれば、転送とかも可能になったりするハズなんです。問題は、アナログ量である質量を別の物理量変換して転送し、アナログ量に戻すことを可能とするためには、デジタル量ではなくアナログ量への変換作業が必要になると考えられます。途中で情報が変質してしまうと違うものが再構築されてしまうとすれば、理解、分解、再構築という作業そのものが、技術的には非常に難しい課題であるといえます。
 不可能で無い以上は、挑戦する価値はあると考えてはいます。(^^;;;デッキルかなデッキルかな

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機械か人間か

 機械と人間の違いって何だろう。チューリングテストをおこなって、相手を人間だと思えば、相手が機械であるかどうかに意味は無いのではないだろうか?かつて、長谷川裕一さんのマップスという作品の中で、戦闘で死んだビメイダーの数は入っていなかった。これは、人造人間であるビメイダーに人権が無いことを意味していた。彼らへの差別は、それほど変わっていない。
 まだ、世界では機械は機械という存在でしかない。人工知能が人権を持つことも今は考える必要は無いかもしれない。そろそろ形無きモノ(インターネット上のデータ)がオークションで取引されつつある時代とすれば、セカンドライフの中で、バーチャルな世界で儲けを出していく企業や個人があるというのであれば、”1”のリアルな世界と”0”のバーチャルな世界のいづれが主であり従であるかもまた、関わる人によって変わってくる時代になりつつあるのもまた事実である。
ココロが、どれだけチューリングテストに耐えられるようになるかによって、新たな時代が切り開かれることになるかと思います。妖精が本当に妖精になれる日が、訪れるかも知れません。

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2008年3月10日 (月)

情報って?

 桃の実がどんぶらこっこと川を流れてきて、ばあさんが川で洗濯をしているときに見つけて持ち帰る。 
 昔話、「桃太郎」の一節である。
 桃が流れてくるということは、きっと上流に桃の木があるのかなという話になるが、桃の実って水に浮いたっけ?というお話とかにもなるから、なかなかに色々考えることができる。読み聞かせというボランティアをやったりしたこともあるのだが、子供からの質問とかあると私的には質問内容とかの方が楽しい。質問がなくて、単にどんぶらこっこで、黍団子で、鬼退治までで終わっちゃうと、なんかつまんなかったりします。日常的に掛け合いをおこなうことが少なくなっているようだけど、子供って掛け合いの中で質問をする力がつくんじゃないかなと思っている今日この頃ですが、皆様はいかがお考えでしょうか?

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2008年2月16日 (土)

国境の消える日 by Ogami_Ittoh

 ジョン・レノンの曲が流れ、銃弾が曲を消した。されど曲は、受け継がれる。
 インターネットの浸透結果として、風俗習慣の違いが浮き彫りとなり、多くの争いが非常に多くのリアルだけでなく、ネット世界でも大きな問題となった。リアルの世界を「1」とし、ネット世界を「0」とすれば、徐々に人が、「1」と「0」の世界を行き来する状況になりつつあることも事実である。
 Free(自由),Flat(平等),Autonomy(自律)が、インターネット世界の基本様式ではあるが、無制限な自由も平等も自律も未だ人類には時期早々と思われ、ボランティア的な管理活動や、プロバイダによる監視活動を含めて、インターネットに関わる人全体に「公益役務」という通信事業法の精神が求められる状況となっているようである。
 国際的な流れについても、同じように国境を越えた対応が進められている。世界貿易機関(WTO)によって、物品貿易だけでなく金融、情報通信、知的財産権やサービス貿易も含めた、包括的な国際通商ルールを協議する場となり、「1」と「0」の世界全体をCosmos(秩序)の中で扱われることに向かっている状況が世界を制覇する流れへと進んでいると言っていいのではないかな?

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2007年9月18日 (火)

有名だけど無銘の詩

A thousand winds by Author Unknown

 非常に有名な詩だけど、無銘の詩でもある。久しぶりに本屋さんに行ったら見つけたので、買ってしまいました。日本語訳および解説文等の著者は、新井満さんです。
 実際に何時、詠われたのかもわかっていないそうである。新井満さんの本によると
 1977年の映画監督ハワード・ホークス氏の葬儀で、俳優ジョン・ウェインが朗読したそうです。
 1987年の女優マリリン・モンロー氏の25回忌の時、ワシントンで行われた追悼式の席上でも、この英語詩が朗読されたとのこと。(新井さんによると朗読者不明とのこと)
 1995年、24歳のイギリス軍兵士、ステファン青年が、IRAとの戦いで犠牲となり、生前に両親に残した手紙に書かれていたのが、”僕が愛するすべての人へ”という手紙とこの詩だったそうです。
1000
 有名だけど無銘の詩。どれほどの時を重ねても、残る人へ贈られる詠唱。英文にせよ、日本語にせよ、原型はとどめているものの、少しづつ時と人によって変化しているようです。新井満さんの本に掲載されているのは、ステファン青年の書き残したものであり、三五館版違っているのだそうです。(三五館版は持ってないので、確認できてません)

 小さな争いに追われるのではなく、すべての人が正しく、すべての答えが合っているとするような暖かさが欲しいなぁ・・・


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2007年7月 6日 (金)

心流は、源の流れ

 武術の流れは、様々あれど、華の帝都八流の流れは、心流にたどり着くと言われる。心流から分かれた八派は、戦国動乱の中で隆盛し、凄まじいまでの英雄豪傑を数々生み出し、門派は拡大していった。
 華の初代劉皇が極めたのは、八派のひとつ水派であり、心流の当主であった麗蘭の妹を妻に迎えることで、八派を押さえ、巨大な華帝国の礎を築いた。水流に心流を組み入れ、水皇流とすることで、帝都八派を水皇の名でまとめあげ、帝位そのものが、八派の統帥位つまり武門最高位となったのである。
 初代劉皇から代々帝位指南役となったのが、水流を直水流とした李家の長、李厳斎であった。李厳斎は、各地の平和安寧を担う、巡検士の長となった。心流の当主であった麗蘭は、心流を直心流として妹に譲り、自分自身は山東泰山に隠棲し闇に消えた。紫苑は、山東泰山に隠棲し、心流の流れを組む流派である。心流の名は御止め流故に、流派を名乗らず、名をもって流派とするのが心流の流れを組む一派の特徴である。

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2007年6月18日 (月)

三代目”紫苑” 02

 老いと病を抱える前を、娘は知らない。初代”紫苑”が極めた、剣を継いだことで、母の人生はただ人とは異なるものとなった。人の口に上る、剣聖と呼ばれる者ですら、”紫苑”には勝てなかったという。そのために”紫苑”の里は襲われた、勝てない恨みは、闇を放ち、里を焼き娘であった母は奪われた。その場におらず、生き残った紫苑が、凄絶な死闘の末、母を取り返した。されど、死闘の中で負った傷が、祖母の命を奪い去っていた。
 ようようにして囚われの身から、平穏な時を迎えたものの、紫苑の極めた技のただ独りの継承者であった。都会にいて剣に追われた母は、結局は逃げるように人のいなくなった里に還った。その時に、身ごもっていたのが娘である。母と同じ”紫苑”の名を抱いた。

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2007年6月16日 (土)

三代目”紫苑” 01

ぱちぱちぱち、炎の穂がはぜる
ぱちぱちぱち、炎の穂がはぜる
 燃える炎の穂が、暗闇を映す。どれほど時が経ったのだろう。ススキの穂が一面に白く揺れ、ちらちらと雪の舞い散るように舞い散っていく。森の木々は、赤々と燃えるような鮮やかな色彩を放って闇に浮かぶ。紫苑は、ススキが嫌いだ。かつて、病に倒れた母を、自分自身の手で切り裂いた時も、ススキが白く揺れていた。
ひっそりと隠れるように住んでいる母娘以外に、人影が無くなって、既に10年以上になる山里。硬く敷き詰めた石畳も、草の芽吹きに砕かれて野に帰していく。陽光が、緋のように燃える木々を映し、白く揺れるススキの草原に風が流れていく。
 光も風も旅人なれば、時を止めることなく遷り往く。
 よわい四十を越えようとする母が、ススキの原に立っていた。緋に燃える鮮やかな木々を背に
十数歳の娘が、ススキの原を前にしていた。共に剣を腰に差す者であった。
「参ります」
「おぅ」
 娘が、しなやかに駆け出していく、受ける母は、痩せていた。柄を握る手の甲には、静脈が浮き出て、病んだ肌は恐ろしいまでに青白く、されど異様なまでに張り詰めていた。娘は、流れるように風に揺れるススキを乱さず駆け抜ける。
 母は、一瞬の流れを見切ったように、痩身の鬼が駆ける姿を放つようにススキの原を駆け抜ける。こちらも風に揺れるススキを乱すことは無い。母の剣刃が陽に映った時には、ススキの穂影に娘の体が消える。刃の放った力は、ススキに空隙を穿つ。娘の姿は、空隙を抜けて、大地を蹴り、天に舞う。剣刃が奔り、痩身の鬼を裂く。痩身の鬼は、一瞬に飛び退く。
 されど、痩身の鬼の左肩から、血飛沫が舞う・・・痩身の鬼は崩れ、母となった。嫌も応も無く、ただ病に倒れて尚、剣を握る手を休めず、オノレの病を切り伏せるかのように、子供のように仕合を求める鬼を止めることはできなかった。痩身の鬼は、強くしなやかに動く。手加減などすれば、死するは自分。死にたくはなく、母の求めるままに剣を奮い、そして一瞬の時が生死を分かつ。ススキの穂が血に染まるのが、今も剣を握る自分を斬り続ける。剣を握るとは、どういうことなのかと、剣を握り闘う自分に問い続ける・・・そして自分は”紫苑”となった。

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